【掲載】知覚の土着性(「TAKT PROJECTの東北考」第6回)

 

企画&リサーチャーとして参加している、TAKT PROJECTの東北考第6回が掲載されたAXIS Vol. 222が発売されています。

「人間を中心とした都市の発展の過程でこぼれ落ちた「何か」があるのではないか。 厳しい自然と「周縁」としての固有の文化を有する東北各地を訪れ、そのこぼれ落ちた何かから、今後のデザインの手がかりを探ります。」(本誌より)
海沿いの街に吹き付ける北風が寒い師走の2022年12月11日から13日にかけての訪問になりました。

チームに加えていただいている連載記事(AXIS Vol. 222)のタイトルは、「知覚の土着性」です。秋田を中心に、油田のある八橋、豊川、石油プラントのある男鹿半島、鉱山資源のあった岩手をめぐる旅となりました。

TAKT PROJECTの吉泉さんの次の一文が今回の訪問の一番の中心点です。
「中東あたりから運ばれてくるような・・・・・。原油にはそんな漠然としたイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。主たる産油地ではない国に住むわれわれにとっては匿名性の高い存在であり、目の前に差し出されたその効能や恩恵だけが扱われているように見えます」。

秋田の田園風景の中に、突如として現れる原油や天然ガスの採掘用ポンピングユニットの存在には驚きました。今でも、少し土を掘ると採掘される天然アスファルトや油が滲む池や田。第二次世界大戦中には、原油プラントが空襲に遭い、多くの人々が亡くなったことを伝える伝承館の展示も印象的でした。

今では、掘り尽くされてしまった原油や鉱山の資源を見てまわりながら、どこか山形で採取した山菜のことを思い浮かべていました。自分たちに必要な分だけをとり尽くしてしまわないように採取し、余所者には場所も教えない。比べる対象として正しくないのかもしれませんが、腐らず運べる貴重な天然資源はどこか土着から世界への流通し、それとともにそれが取れる土地のことを全く想像できなくなってしまう側面をはらんでいます。知らないこと、見えないことを気遣うことは難しいものです。これから私たちは土着性をどう新たに持つことができるのでしょうか。そんなことを考えながら、旅の途中、その後の議論の中で考えています。

ぜひご一読いただけますと嬉しいです。