企画&リサーチャーとして参加している、TAKT PROJECTの東北考第5回が掲載されたAXIS Vol. 221が発売されています。
「人間を中心とした都市の発展の過程でこぼれ落ちた「何か」があるのではないか。 厳しい自然と「周縁」としての固有の文化を有する東北各地を訪れ、そのこぼれ落ちた何かから、今後のデザインの手がかりを探ります。」(本誌より)
涼しさを超えて寒さを感じはじめる、2022年10月2日から4日にかけての訪問になりました。
チームに加えていただいている連載記事(AXIS Vol. 221)のタイトルは、「ハレとケの外側にある時間」です。恐山を中心に、10月の青森県下北半島をめぐる旅となりました。またその中で、祖母の口寄せをしてもらうという体験をしました。
TAKT PROJECTの吉泉さんの次の一文が今回の訪問の一番の中心点です。
「スピリチュアル事…、といってしまうのは簡単ですが、長い歴史の中で、なぜこういった文化が生まれたのか?そしてなぜ、本州最北端・最果ての地だったのか?その地理的な関係や文脈、そして全国から集まるという来訪者を受け止めるその求心力とは何なのか?
やはりそれは心の問題であり、広義にはデザインへのまなざしにも繋がりうる事だと感じました」
その旅の中で、個人的に思い出深い体験は、90歳のイタコである中村タケさんに2018年に亡くなった祖母の霊を「口寄せ」でおろしてもらったことです。
イタコの口寄せは古くから地域のカウンセラーのような役割で目の不自由な方が担う役割として存続してきました。しかし、今では盲目の方では最後の一人になったとのことです。
実際に、30-40分かけて自分の祖母を呼んでもらうと訪問前から終えてからじんわりと時間をかけて感じることがありました。それは、その場で会話しているのが祖母の霊なのかという信憑性ではなく、祖母との時間を思い出し反芻することに尽きるのではないかということでした。
近年、イタコの霊的な側面は時代に翻弄されてきた過去もあります。1970年代から観光化を目指した地域の思惑や、メディアによる面白半分な企画が増えたことで、本当に霊をおろせるのかという検証的な視点であったり、面白おかしくということも多かったとの記録があります。また、寄せられる相談には、もののありかや相続問題など答えを欲するものも増えているといいます。
しかし、口寄せに科学的に本当のことなのか、と問うことや事実確認するような行為は、個人の体験としては意味がないのではと思いました。
訪問前に家族や親戚に、「おばあちゃんに聞いておきたいことはない?」と連絡すると、次々に質問が送られてきました。みんな自分のことよりも、96歳で他界した祖母や20年以上前に亡くなった祖父、絶えることなく飼われていた猫や犬のその後を気遣う内容でした。久しぶりに、祖母の話題で両親や親戚と会話をしました。
その過程で、祖母に生前かけてもらったかけがえのない言葉を思い出していました。温かく感じること、身が引締まること。日々の生活の中で忘れてしまうものです。本当は、遠くで暮らすことで晩年、会話がなかなか少なくなってしまっていたことを悔やんでもいたのです。しかし、口寄せの体験を通して、記憶と出会いなおし、忘れていた記憶がもう一度意味を持って立ち現れると言うことがあるのだと実感しました。
故人を偲ぶとは、このような内省的な時間なのかもしれません。
この時間もまた「ハレとケの外側にある時間」ではないかと感じています。
ぜひご一読いただけますと嬉しいです。