企画&リサーチャーとして参加している、TAKT PROJECTの東北考第4回が掲載されたAXIS Vol. 220が発売されています。
「人間を中心とした都市の発展の過程でこぼれ落ちた「何か」があるのではないか。 厳しい自然と「周縁」としての固有の文化を有する東北各地を訪れ、そのこぼれ落ちた何かから、今後のデザインの手がかりを探ります。」(本誌より)
暑さが一段落ついた2022年9月4日から6日にかけての訪問になりました。
宮澤賢治さんは、心象スケッチという創作のアプローチをとっていたと言います。
「前に私の自費で出した『春と修羅』も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」(大正十四〈一九二五〉年二月九日 森佐一あて封書)
それは一見詩のようにも見えますが、本人によるとそれは心に立ち上がった事実をそのまま記しているに過ぎないと言います。また賢治さんの時代には、心象スケッチは最先端の心理学を活かした科学的な手法であったとも考えられているようです。賢治さんは、高等農学校を優秀な成績で入学し、ずっと主席で学ばれていたとの記録を博物館で見ました。そのような科学的なマインドを持つ賢治さんが、その豊富な知識をベースに彼の暮らした岩手の大地の中で、風や温度、においなど全身の感覚を持って立ち上がらせた心象のイメージを、ノートに記しては、それに手を入れ続けたと言います。
賢治さんは教師でもありました。読み書きをするのに加え、生徒たちと歌ったり、川で泳いだりと人を巻き込んで何かをするのが好きだったと伝えられています。(ちょっとそういうイメージがなかったので驚きました)岩手大学の木村直弘先生にお話を伺った際には、賢治さんは、音の持つ振動や摩擦に対して関心が高かったと伺いました。確かに、読むだけでは視覚中心の体験ですが、話し言葉になることで聴覚、触覚にも刺激があります。
私は、宮澤賢治さんは、全身感覚を世界に対して全開にして物事を捉えていたと考えました。知識や環境から立ち現れる心のイメージは、与えられるものではなく、自分の内面から引き出されるイメージなのだと。与えられる情報の多いと言われる都市生活の中で、私たちが想像したり創造していることと、心象が立ち現れる経験にはどのような違いがあるのか、そのようなことをテーマに現地を回り、チームで議論を重ねました。ぜひ、vol. 220をお手に取ってみてください。